職業訓練ではなくリベラルアーツ基礎学問が正解

 リベラルアーツギリシャ、ローマ時代の「自由7科」と呼ばれるもので、文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽を指しますが、これを学びさえすればいいというものではありません。修辞、弁証は哲学であり、算術、幾何は数学のことですが、現代において哲学も数学も枠組みが変わってきていますから、この7つを学べば、それでOKとはいかないのです。

 日本人に欠けているのは基礎学問を学ぶということです。基礎学問とはいわば「教養」です。大学では「教養を身につけてほしい」ということです。

 たとえば、文学の学生で言えば本を読むことです。そんなの当り前じゃないかと思った人も多いでしょうが、文学部でやっているのは特定の作家や時代の文芸批評、文芸理論の研究でしょう。しかし、それは応用学問であって基礎学問ではありません。

 文学における基礎学問とは歴史的に重要な書物を読むことです。聖書やシェイクスピアを読むことであって、シェイクスピアを研究することではありません。基礎学問の基本は本を読むことなのです。

 まずは本を読む。読むだけで、それについての批評はいりません。手あたり次第、古典と言われるもの、名著と言われるものを読むのが最初です。大学にある図書館の本のすべて、文学部であればありったけの古典文学を読むことで基礎学問は身につきます。

 まずは読んで味わってください。それが先人の残した抽象度の高い思考をなぞる訓練になるのです。批評はそのあとです。歴史は現在とのつながりの中で考えるものなのです。

 最後に哲学の学び方もお話ししましょう。そもそも日本では哲学を誤解しているところがあります。プロ野球野村克也監督の「野球哲学」みたいなものを「哲学」と思っているふしがあるのです。しかし、これは哲学では当然ありません。一言で言えば、処世術です。

 哲学を学ぶとは分析することです。基本的にはメタフィジックス(形而上学)という分野のなかで学ぶ、主に倫理学のことを言います。その倫理学の方法論が進化して生まれたのが非単調論理(帰結関係が単調ではない論理のこと)なので、それを使って世の中の出来事を分析したり、思想を分析することが哲学の仕事なのです。

 もう一つ、哲学のなかで特にいま学んでほしいのが倫理学です。倫理学は高度な抽象的な思考をともなう哲学の一部であり、リベラルアーツのコア教養になります。

 個人のゴールや行動だけでなく、集団や国、国際社会にまで関わる倫理ですから、動物的な欲求行動とは真逆なものになります。つまり、目先の利益や既得権益の維持にあくせくしているいまの日本の政治家にはないものが倫理ということです。

 少し皮肉めいたいい方になりますが、私が知る、高い倫理観を維持している政治家たちは政治の重要なポジションにつくことができません。日本の政治家は倫理ラインを下げないと偉くなれないのです。最近では、抽象思考ができない人をわざわざ選んで偉くしているようにすら感じます。そのほうがコントロールしやすいと、長老議員や大企業、外資系企業は判断しているからでしょう。

 最も怖いのは、いまの大卒レベルの若者たちが抽象思考のできない人をかっこいいと思ってしまうことです。メディア露出が多いというだけで、政治家に選んでしまう彼らを見て、倫理学の必要性、リベラルアーツの必要性を痛感するのです。

 みなさん、もっと学びましょう。抽象度を上げて、この世界を見渡してください。それによりいまの閉塞した日本、戦争や暴動が絶えない世界を変えていくことができるのです。